「転勤、決まったよ」——その一言を、僕はずいぶん軽い気持ちで口にしてきた。会社から辞令が出て、家族にそれを伝える。あとは引越しの段取りをして、新しい土地へ移るだけ。僕にとって転勤とは、ただ「会社の都合で住む場所が変わること」でしかなかった。けれど妻にとっては、まったく違う重さを持つ出来事だったことに、僕は長いあいだ気づけずにいた。
この記事は、転勤族の夫であり父親である僕が、妻の苦悩をどれほど「わかっていなかったか」を正直に振り返り、同じ立場の男性に「どうか自分も気づいてほしい」と願って書いている。きれいごとではなく、自分への反省として、ここに正直に残しておきたい。
僕は「軸」を失わない。でも妻は、すべてを失う

転勤が決まっても、僕には変わらないものがある。会社という居場所だ。新しい土地に着いても、翌週には職場へ行けば同僚がいて、役割があって、毎月の給料がちゃんと振り込まれる。住む場所が変わっても、僕の人生の「軸」は揺るがない。だから僕は、転勤をどこか他人事のように、軽く受け止めていられたのだと思う。
でも妻は違った。辞令ひとつで、それまで積み上げてきた仕事を手放す。ようやく慣れた職場、信頼できる同僚、少しずつ任されるようになった責任——その全部を「夫の都合」で諦めなければならない。再就職しようとしても「どうせまた転勤されるんでしょう」と面接で渋い顔をされる。パートを見つけても、数年後にはまた一から探し直し。妻が静かに飲み込んできたこの喪失を、僕は「家族みんなで一緒に動くだけ」と本気で思っていた。今になって振り返ると、これほど鈍感なことはなかったと思う。
僕が職場で「異動、大変だなあ」と同僚と笑い合っているその裏で、妻は履歴書の前で何度もため息をついていた。同じ転勤でも、僕が失うものと妻が失うものは、まるで重さが違っていたのだ。
知らない土地で、妻はいつもひとりだった
新しい街に着いて、僕が当たり前のように会社へ通い始める一方で、妻は知り合いの誰もいない土地に取り残される。役所の手続き、子どもの転校の準備、病院や歯医者を探すこと、近所付き合い、保育園の空きを探して何件も電話をかけること——新しい生活を一から立ち上げる作業の、ほとんどすべてを妻がひとりで背負っていた。
僕が夜に帰ってきて「最近どう?」と聞くと、妻はいつも「うん、大丈夫だよ」と笑っていた。僕はその言葉を、そのまま信じていた。いや、信じたかったのだと思う。本当は、その「大丈夫」の裏に、気軽に話せる友達もいない孤独や、子どもの前では絶対に泣けないという我慢が隠れていたことに、僕は気づこうともしなかった。
昼間、誰とも口をきかない日があること。スーパーのレジ係との「ありがとうございます」が、その日唯一の会話だったこと。実家の母に電話したくても、心配をかけたくなくて受話器を置いたこと。そういう小さな孤独の積み重ねを、僕はまるで想像できていなかった。転勤族の妻が心を病んでしまうという話を、僕はずっと「よその家の話」だと思っていた。すぐ隣に、そのつらさを抱えた人がいたのに。
子どものことで、いちばん傷ついていたのは妻だった

子どもが「転校なんてしたくない」と泣いた夜。その涙を、いちばん近くで全部受け止めていたのは妻だった。仲のいい友達と離れる子どもの寂しさ、新しいクラスに馴染めるだろうかという不安、転校先でちゃんと笑えているだろうかという心配——その重さを、母親である妻はまるで自分自身のことのように、毎日抱え込んでいた。
そんなとき僕は、「子どもなんてすぐ慣れるよ」と軽く言ってのけた。励ましのつもりだった。でもその一言は、毎日子どもと正面から向き合っている妻を、どれだけ突き放し、孤独にしただろう。父親が「大丈夫」のひと言で片付けてしまう問題ほど、母親がひとりで抱え込む重荷になる。それに気づいたのは、ずっと後になってからだった。
転校した子どもが学校で元気をなくしたとき、先生から連絡を受けるのも、夜にそっと話を聞いてあげるのも、いつも妻だった。僕が「会社で疲れた」と言ってソファに沈んでいるあいだ、妻は子どもの心の揺れを、ひとりで支え続けていた。家族のために転勤を受け入れたはずなのに、その家族の不安をいちばん引き受けていたのは、ほかでもない妻だったのだ。
単身赴任を選んでも、妻の負担は消えなかった
家族の生活を守るために、僕が単身赴任を選んだこともあった。子どもの学校を変えずに済むし、妻も住み慣れた土地に残れる。これなら妻の負担も減るはずだ——そう思っていた。けれど、それもまた僕の浅はかな思い込みだった。
僕が単身先で気楽にひとり暮らしをしているあいだ、妻は「実質的なひとり親」として、家事も育児も家計のやりくりも、ぜんぶをひとりで回していた。子どもが熱を出せば、仕事を抜けて病院へ走るのも妻。学校行事に父親の姿がないことを、子どもにどう説明するか悩むのも妻。夜、子どもが寝静まったあとの静かな部屋で、妻が何を思っていたのか、僕は週末に帰るたび「ただいま」と言うだけで、想像しようともしていなかった。
「単身赴任にすれば妻は楽になる」というのは、結局のところ、僕が自分を納得させるための言い訳だったのかもしれない。距離が離れたぶん、妻の苦労はむしろ見えにくくなっていた。
「ついてきてくれている」のではない

僕はどこかで、妻は「自分についてきてくれている」と思っていた。けれどそれは、とんでもない勘違いだった。妻はついてきているのではない。家族のために、自分のキャリアも、友人関係も、慣れ親しんだ居場所も、ぜんぶ差し出してくれていたのだ。僕が「軸」を守れていたのは、妻がその「軸」を失う役を、黙って引き受けてくれていたからにほかならない。
それなのに僕は、感謝の言葉ひとつ満足に伝えてこなかった。「悪いね」と口先で言うことはあっても、その裏にある本当の重さを想像しようとはしなかった。妻が何を手放し、何を我慢し、どれだけ歯を食いしばってきたのか——僕は本当に、何もわかっていなかった。転勤のたびに「君のおかげだ」と言うべきだったのに、僕はただ「次はどこかな」と自分の話ばかりしていた。
「わかっているつもり」がいちばん怖い
厄介なのは、僕自身が「自分は妻のことをわかっている」と思い込んでいたことだ。引越しの荷物を少し運べば「手伝った」気になり、たまに皿を洗えば「家事をやっている」気になる。でも妻が本当に求めていたのは、作業の手伝いではなく、「あなたのつらさを、僕もちゃんとわかっているよ」という心からの言葉だったのだと思う。
男は、つい「解決」しようとする。妻が悩みを口にすると、すぐに「こうすればいい」とアドバイスを始めてしまう。でも妻が欲しかったのは答えではなく、ただ「そうだよね、つらかったよね」と受け止めてくれる人だった。僕はそのいちばん簡単で、いちばん大事なことが、ずっとできていなかった。
そして何より伝えたいのは、妻の苦悩は「気の持ちよう」では決してないということだ。仕事を失う痛み、土地に馴染めない孤独、子どもの心を支える重圧——どれも本物の負担で、本人の努力で簡単に消せるものではない。それを「みんな我慢している」「贅沢を言うな」の一言で片付けてしまう夫がいたら、それは僕がかつてそうだったように、妻をいちばん深いところで傷つけている。まずは「つらいんだね」と認めること。その出発点に立てるかどうかで、夫婦のこれからは大きく変わっていくはずだ。
それでも、やり直すのに遅すぎることはない
こうして書き出してみると、私は本当に、夫として、父親として、足りないことばかりだった。けれど、過去を悔やむだけでは何も変わらない。大事なのは、気づいた今から、少しずつでも変わっていくことだと思う。
最近の僕は、妻が「大丈夫」と言ったときに、すぐに信じてしまわないよう気をつけている。「無理してない?」「今日はどんな一日だった?」と、意識して聞くようにした。たったそれだけのことで、妻の表情が少しやわらいだ気がする。長いあいだ言えていなかった「いつもありがとう」を口にしたとき、妻が驚いたような顔をして、それから少し笑ったことを、僕はきっと忘れない。
夫が「気づく」だけで、妻の苦悩は軽くなる

転勤族の妻の苦悩は、夫である僕たちが「気づかないこと」によって、何倍にも重くなる。逆に言えば、僕たちがほんの少し意識を変え、想像力を持つだけで、その重さは確実に軽くなる。
難しいことをしろと言っているのではない。まずは「妻も自分と同じだけ、いや自分以上に大変なんだ」と本気で思うこと。辞令を「自分ごと」ではなく「家族ごと」として一緒に考えること。妻の「大丈夫」を鵜呑みにせず、「本当はしんどくない?」ともう一歩踏み込んで聞くこと。話を最後まで聞き、すぐ解決しようとせず、ただ「ありがとう、そして、ごめん」と心から伝えること。それだけで、妻の孤独はきっと少しずつほどけていく。
もし今、この記事を読んでいるあなたが転勤族の夫なら、どうか僕と同じ後悔をしないでほしい。妻はあなたのために、自分の人生の大切な部分を、文句も言わず静かに差し出している。その事実に気づき、感謝し、言葉と行動で返すこと——それが、転勤族の父親に今いちばん求められていることだと、僕は自分への戒めも込めて、心からそう思っている。妻のいちばんの理解者は、ほかの誰でもない、夫である僕たち自身でなければならないのだから。

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